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Allgood Story 西辻 一真
アンバサダー(Allgood Collective) やローカルリーダーをお招きし、
「環境責任、クリエイティブ表現、個人の健康とウェルネス」を応援する
トークイベント Allgood Storyを開いています。
今回は、Allbirdsと共に、自然の素晴らしさ・大地の素晴らしさを伝えたいという想いのある、株式会社マイファーム代表の西辻一真さん。
彼が野菜に魅了されたきっかけはなんだったのでしょうか?
それでは、西辻さんのAllgood Storyを紐解いてみましょう。

幼少期に始めた家庭菜園
私の原点は「楽しい」「褒められる」「応えてくれる」。この写真にすべて詰まっています。
産まれてすぐ引っ越してきた福井県三国町は、7000世帯が住んでいる町で、大体みんな農家さん。サラリーマンの息子だった僕は、マイノリティーでした。でも、みんなと仲良くなりたかった。
『海の素潜り、野菜作りができたら友達と仲良くなれるんじゃないか?』
そう思って、小さい時から自宅の裏庭では家庭菜園をやっていたんです。
自分が作った大根をお母さんがお味噌汁にしてくれて、美味しいねって食べてくれて、たくさん褒めてもらっていました。家庭菜園をして怒られることって無いんだな〜って小さいながら思っていました。
実は、美味しい野菜を作る秘訣って僕はわかっています。
肥料でもない、土造りでもない。愛情です。
僕は保育園に行ってなかったので、ずっと畑にいました。
虫が来たら追い払って、葉っぱが萎れてきたら『大丈夫〜?』って声をかけていて… 愛情をかけていました。
だからちゃんと植物を見てあげている人は、ちゃんと植物が育ちます!(笑)

僕の人生の転機①
2011年の3月に起こった東日本大震災。
ちょうど地震の前日3月10日に、宮城県に農業学校の東北校を作ろう!と東北に行く途中だった私は、農家さんと連絡が取れなくなりました。
そこで僕は間違いをしたんです。
連絡が取れない東北の農家さんを心配して、一人で東北に行ってしまいました。取引先との解約の嵐で会社が潰れそうな中、東北の農家さんを最優先しました。
僕は一番大事な人たちを忘れていたんですね。そう、仲間。
一緒に働いていた仲間はみんなめっちゃ不安なんですよ。お客さんも解約の嵐でしたから。
京都に帰ってきたら、臨時取締役会が開かれていて社長を辞めることに。今この時代に戻れるなら、仲間と話しながら行動に移していました。なぜあの時に一人に行ったのかすごく後悔しています。
社長ではなくなってしまったので、東北でボランティアをしていました。大学時代に身につけた知識で土壌改良剤を巻いて塩害を防ぎ、3カ月でトマト生産ができるような畑にしました。トマトの加工品を作っていたら、秋篠宮殿下に表彰いただき、大手の企業がスポンサーになりたいと言ってくださって寄付金でこの場所は自走できる形にして京都に戻りました。

僕の人生の転機②
地元福井県、三国町での取り組みです。
高校生の時に見た耕作放棄地を直さんとあかんわって思って、直しに行ったんですね。
直し方はどうしたのかというと、平飼い(走り回れる)の鶏の飼育をしながら、農家レストランをしたり、農業体験をしたり、加工品を作ったりして、この地域の農業の再生を取り組見ました。これをすることで地産地消につながっています。
今までマイファームが直してきた耕作放棄地は、160ヘクタールです。
規模感が分かりづらいと思いますが、東京ドーム3ヘクタールなので、東京ドーム50個くらい直してきています。
写真:オープンした農園レストランNORA

大切にしている言葉
今日皆さんに差し上げたいメッセージがあります。
早く行きたければ、一人で行きなさい。
遠くへ行きたいなら、みんなで行きなさい。
アフリカの有名な諺なんですけど、僕が東北の震災の時に、早く行ったせいで一人で行ってしまったんです。
後悔しているから、遠くを見据えながらみんなで行くことを意識しようと非常に強く考えています。
まさしくAllbirdsの考えと一緒で、気候変動にみんなでなんとかしていこうよ、と。
僕はここに賛同したので、こうやって皆さんの前でお話をしていますし、活動を一緒にやらせていただいています。

Allgood Collective 西辻 一真
(株式会社マイファーム代表取締役)
西辻さんは「人と自然の距離を縮める」「自産自消」を目標に、
農業を基盤とした学びの場の提供や、農業従事者へのサポート
を実現しています。
西辻さんが実施する、耕作放棄地の再生を目的とした「原料生薬栽
培/放牧畜産」や、農業を身近にする「農業支援」は、
自然との共存を促進するための大きな可能性を秘めています。